お客様現在の位置:ホーム>観光地>チベット>ツェダン

山南地区・ツェダン


概 況


写真集


道路交通情報


ホテル情報


ツアー

ツェダン概況:

 ツエダンとはチベット語で、猿さんが遊ぶ所という意味だそうです。この名前は下記のような伝説と繋がりがあります:大昔、普陀山に住んでた観音菩薩の弟子である神猿が、観音菩薩の命令でチベット高原に修行しに行ったそうです。一生懸命修行してる神猿が一人の魔女に出会い、彼女の無理な結婚要求を断った時に、次のような話をされた:「あたしと結婚しないと、すぐ魔鬼と結婚する。そうすると、沢山の魔鬼の子孫を生まれ、この高原が魔鬼の世界になり、衆生が散々苦しめられるよ」。それを聞いた神猿が仕方なく、観音菩薩に報告の上、魔女と結婚をして、6人猿の子供を生まれた。3年後は6人から500人にもなり、果物だけではもう生活できなくなったので、神猿が観音菩薩から貰った麦などの農作物を大地に蒔き、農作物を沢山植えました。猿たちが食べ物豊かになったため、尻尾がなくなり、話もできるようになり、やがてチベット族の祖先になったのです。
猿起源説はチベット民間では広く伝えられ、昔のダライ・ラマもその説を採用している。今でも、ダライ・ラマの夏の宮殿・ノルブリンカと冬の宮殿・ポタラ宮には全部この物語を表現してる壁画が残っている。特にツエダンチベット族は神猿が住んでいる修行の洞窟案内までもできるのです。
このような沢山の神話に包まれたツエダン辺りは悠久な歴史と貴重なチベット文化を持つ所だと思われているので、チベット研究の学者にとっては、まず行かないといけない名所になっています。
  ツエダンは海抜3560m、総面積3平方キロ、総人口3万人です。町周辺は平野があり、土地が肥沃、気候が暖かく、農業灌漑用水も豊富で、ずとチベットの食糧倉庫として栄えてきています。年間の平均気温は5〜8度前後で、年間降雨量は600ミリぐらいです。夏は短く、猛暑がないに対して、冬は長くて、厳冬もないんです。冬の平均気温は2度〜12度ぐらいです。

ツェダンの年間気温は下記の通りです:

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
平均気温 -0.9 1.2 5.2 7.2 12.5 13.1 15.4 14.6 13.2 3.5 1.6 0

ツェダン付近主な観光スポット:

蔵王墓:

紀元7世紀〜9世紀の間にツエダン辺りを支配していた歴代チベット王の墓地です。ツエダン町から約30キロ離れているチョンジェ県に位置しています、お墓合せて21箇所あったそうですが、発見されたのが16箇所です。墓地辺りのお墓の高さは大体10メーター前後で、一番高いのがソンツェン・ガムポのお墓で、13mもあるそうです。
ソンツエン・ガムポの墓上にお寺があり、中にソンツェン・ガムポ、文成公主とテイツン公主などの造像を祭られています。隣に8世紀のチベット王・ティソン・デツインのお墓があります。高さ7mもある石碑と墓前に鎮守してる二つの獅子石像がそこのシンボルになっています。
蔵王墓の発掘はまだされていませんが、1000も前のチベットの歴史、文化、政治と生活などの研究には極めて値打ちがあるところなので、1961年に国家重要文化財に指定されました。 

ヨンブラカン:

ヨンブラカンとはチベット語で、雌鹿の後足に建立された宮殿の意味です。ツエダンから約8キロ離れています。紀元前1世紀頃築かれたそうですが、現存の建物が殆ど1982年修繕後のものです。3階建ての建物で、1階の本堂には三世仏、ソンツェン・ガムポ王、ティソン・デツィン王と文成公主、ティツン公主などの造像を祭っていますが、2階には主に宗教人物のツンカバー、パドマサンバア、文殊菩薩などを祭っています。
それに宮殿立てられた山の北東部に泉があり、年中水量が豊富で、水が万病に効くそうで、ヨンブラカンと一緒に現地チベット族の礼拝対象になっています。 

サムイェ寺:

 紀元8世紀にティソン・デツィン王の命令により、建造されたチベット初めての「仏殿・経典・僧侶」を揃えていた正式的な仏教寺院です。ツエダンとタタンのほぼ中間地点にある船乗り場から、ヤルツァンポ河を一時間ほど航行して着岸後、トラック又は乗り合いバスを利用して、30分間ほど行くと、城壁を巡らしたような建造物が見えてくる。それがサムイェ寺です。  
仏教を初めてチベットの国教とした王ティソン・デツエンが 779 年に創建した本格的仏教寺院である。t当初、反仏教勢力のポン教の執拗な呪術による妨害工作で、工事が進展しないという事態が続いていました。そこで、建設中、印度から大行者のパドマサンバヴアを招いて、悪魔祓いを伴う地鎮の儀を行ったところ、無事落慶できたという伝説があります。パ ドマサンバヴアはいうまでもなく、後にニンマ派の開祖になったのです。
このお寺は須弥山を中心とした仏教の宇宙観(曼荼羅)に従って構成されているのだ。近くの岩石の上にあるゴンパ寺からこの寺を見下ろせば、寺院全体が須弥山に見立てた大本堂を中軸として、立体的な曼荼羅構造を呈していることがわかります。

タントク寺

 紀元7世紀に大昭寺とほぼ同時に建立されたチベット一番早い仏教お寺です。伝説によると、大昭寺とタントク寺は全部当時チベットの魔女を鎮圧するために築かれたそうです。大昭寺は魔女の心臓部に造り、タントク寺は魔女の上肢部に建造されたのです。
タントク寺は本殿、マニ車壁、庭の三つの部分からなっていて、巨大な全銅製の三世仏像のほかに
美妙絶倫な真珠タンカも保存されています。特に真珠タンカは長く2m、幅1.2m、全部で29026個の真珠とほかの宝石を使ったできたもので、600年間を減ってきたが、色が全然落ちていません。


ミンドルリン寺

 ダライラマ5世の師匠テルダクリンパが1670年に開いたニンマ派の総本山であります。寺名のミンドルリン寺は「完全な解脱 の場」を意味します。
テルダク・リンパは同派の仏教聖典を集大成した高僧で、その密儀は千里眼の持ち主と言われる娘のミンギュル・ぺルドンに伝授され、以後もその法灯は脈々と伝えられています。
ミンドルリン寺はかつて壮大な中庭の回りに5重塔を含む、多くの僧堂伽藍を擁し、300人以上の僧が起居をともにしていいましたが、 文化大革命で、大きな被害を被り、かろうじて2つの仏殿が残されました。この際、本尊の釈迦ムニ仏も上半身が破壊されていました。
現在は再興されつつあるのも事実で、一時姿を消していた僧侶は現在60人にまで増えていたそうです。
本殿には創設者のテルデク・リンパの像があります。老齢で白髪、顎鬚を蓄え、ニンマ派の印である赤い帽子をかぶっています。本殿の2階には小さな秘仏を納めた部屋がある。文化大革命中に僧侶の一人が密かに隠してたため、破壊を免れたもので、特に神聖視されています。