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三星堆博物館


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  1986 年、四川省考古所の考古学家達が広漢県馬牧河側の三星堆で沢山の文物(青銅器、象牙、陶器、玉器など)を出土しました。出土した文物が殆ど 3250 年前製造されたもので、特に青銅器などが皆を驚かす形を持っているし、それについての文字の記録もありませんので、全中国の考古家の注目を呼び寄せました。それが誰が造ったのか?何の目的で造ったのか?色んな謎があるので、それらの謎を解けるには相当時間かかるでしょう!

 一:三星堆文明の由来

 もし三星堆で発見された文物は三星堆文明を代表していると言えるなら、この三星堆文明が一体どこから来たのかをまず考えるでしょう。三星堆文物を細かく鑑定しますと中原文化と多少関係ある点が段々判明されてきました。中原文化代表の一つ・山東省の二里頭文化が三星堆文明の来源だという説が出てきました。証拠が4つあります。

 1,三星堆から何千件の陶器を出土しましたが、色んな形揃っていますけど、形が全部二里頭文化の陶器と似ている。特に三足陶器の表面飾りの目図案は二里頭文化と全く同じです。また、文化の発生年代は二里頭文化の方が早いです。これが三星堆文化が中原二里頭文化の続き説の証拠一です。

 2,三星堆で出土した青銅器の中に中原地区衣装している人物が出ています。正座してる中原地区人が普通の百姓の衣装と兇暴な表情をしています。三星堆人がこのような中原人物を通じて中原人に対する敵視な態度を表したほかに、中原人との間に仇を持っていることも表現してるでしょう。これについて、伝説があります:大昔、夏王朝時代、山東省の二里頭文化圏辺りに夏王朝に支配されている「有メイ氏」部落があり、夏王様の暴政から逃げるために揚子江を遡り、三峡を通りまして、今の四川省三星堆辺りに亡命してきました。三星堆辺りの強力部落と連合して三星堆で一つ強大な王国を創り、三星堆文化を創りました。「有メイ氏」部落の人達が空手で四川省三星堆に来たとしても青銅器や陶器や玉器の製造技術が分かるから現地材料配達して、三星堆の青銅器や玉器や陶器などを当然造れるでしょう!これが証拠二です。

3,青銅牌が二里頭文化の続きです。三星堆から沢山の青銅器を出土しました。その中に当時の人達が飾り用に胸か腰に付ける青銅牌が何枚かあります。その青銅牌が形からも、製造技術からも、製造年代からも、どっちから見ても山東省の二里頭文化の青銅牌から発展して来たものとは言えます。これが証拠三です。

4,主なトーテムが鳥で、これも当時の二里頭文化と同じです。三星堆から出土した沢山の文物から見ると当時三星堆文化を創った人達が一番尊敬してるのが鳥で、空を飛べる鳥を主なトーテムにしています。黄河流域の二里頭文化の人達も同じ信仰があります。これが証拠四です。

 二:なぜ、こんな沢山異形な青銅器を造ったのか?

 もし、上記の仮説が成立であれば、三星堆の古人がなぜこのような変わっている形の青銅器を沢山造ったのか?文字の記録がありませんので、やはり考古家の仮説でご解説しましょう。殷商時代、まだ原始信仰、原始宗教雰囲気濃厚な時代です。遠い山東省からやってきた「有メイ氏」部落がこの四川省の三星堆古人に深い信頼をもらい、しっかり現地に足を踏まえるには、まず自分の力を見せ、実績を見せるでしょう。多分その考えに基づき、自信満々の「有メイ氏」人達が巨大な大げさな表情をしているお面と他の数多い人を驚かす異形青銅器を設計して、造りました。それらの青銅器を通じまして、「有メイ氏」が古代三星堆原住民に神秘な原始信仰世界を現して、礼器を通して天国の神々と交流する三星堆原住民の願いを満足させ、自分達の現地での地位も確立しました。当時の祭祀場面を想像させましょう:祭祀廟に威厳且つ神秘さ満点な青銅器が林立し:青銅樹、青銅大立人、青銅仮面などいずれも人の心を震撼させる力を持っています。突然、風が吹いてきて、青銅器に飾って風鈴が一緒に綺麗な音を立て、三星堆王国の上空を長く響きます。なんと神秘な宗教世界でしょう!

三:三星堆の文物なぜ破壊されて土の穴に埋蔵されたのか?

 もし、三星堆文明の由来と製造理由仮説が可能であれば、下記の三星堆文物埋蔵についての仮説も可能でしょう。先ほど言いました通り、三星堆文明が山東省から来た「有メイ氏」と三星堆現地原住民が協力して創った文明です。三星堆文明の末期、三星堆政権支配階級の権力などの争いで、戦乱が起こりました。戦争中、三星堆町も祭祀廟に祭っている青銅器も殆ど壊されました。戦争後、戦火で破壊された三星堆町が廃墟になり、もう住めなくなったので、三星堆の住民達がそれぞれの部落リーダーに連れられ、他のところに行きました。それから暫く経ってから、現在四川省の漢中と彭州辺りで相次いで2つの新王国が現れ、それぞれ現地の新しい文化中心地となりました。三星堆文明がそれから歴史から消えてしまいました。戦争後、最後に三星堆を離れる部落の人達が戦火で破壊された青銅器とほかの礼器(玉器、象牙、陶器など)をまた使うと不吉祥だと思い、盛大なお儀式を行ってから、全ての青銅器と礼器を穴に埋蔵しました。その穴が1986年、四川省の考古学者達が見つけて、それで、約3300前のこの文物が出土しました。

四:三星堆の代表文物

1,青銅獣目仮面:
 高さ65CM,幅138CM,突き出ている目玉の直径が13.5CM,目玉の長さ16.5CM,長くて大きい左右の耳にはそれぞれイヤリング付ける穴があります。
 これが何を代表しているのか?
 仮説一:これが四川省当時原住民の祖先だそうです。
 仮説二:これが鳥を代表しているトーテムで、三星堆古人が普通の人間とトーテムがお互いに生まれ変わることを信じています。この巨大且つ威厳な鳥で古代三星堆庶民の鳥への深い崇拝と自分が鳥になって空を飛ぶ考えを十分表しました。
 何れにしてもこれが普通の人間が付ける仮面ではなく、宗教用の飾り礼器であることには間違いないのです。

2,数多い、表情全く違う抽象的な青銅仮面:
 なぜ数多い仮面をそんな抽象的に造ったか、具体的原因がまだ分かりませんが、しかし、もし青銅仮面が全部祭祀に使うなら、製造者の目的の一つが皆を驚かして、現実世界を乗り越えて、今まで無いものを造ることでしょう。青銅仮面は皆に親しさを感じさせるではなく、代わりに冷たさで人々を震撼させ、威厳さを感じさせたいのです。なぜかというと、青銅仮面代表しているのが、普通の人間の顔ではなく、各神々の顔です。

3,青銅樹:


 三星堆から合計6本の青銅樹を出土しました、しかし埋蔵前の破壊で1本しか復元できませんでした。復元された青銅樹は高さ396CM 、上部の部品がなくなったので、実際の高さが500CM に達しているそうです。この青銅樹が三段に分かれ、毎段からそれぞれ3本の枝が伸びています。合計9本の枝です。各枝の先端にそれぞれ花の蕾が一つ彫られており、蕾の上に鳥が一羽ずつ立っています。合計9個の枝と9羽の鳥が作られています。頭部には本来何かあったはずですが、破壊されたので、何も付けなくて破損のままで復元されました。でも仮説では頭部に元々付けているものが、太陽を代表している青銅器だそうです。青銅樹の茎に沿って下っている一匹の龍も彫られています。龍も非常に抽象的に造り、頭が馬に似ていて、鱗が刀の形しています。非常に地味な龍ですが、人に与える想像の空間がものすごく多きいです。

4,金杖:


 長さ143CM 、直径2.3CM 、重さ463 グラムです。中は空洞で、純金で造ったのです。金の純度は85%も超えています。表面には手彫りの図案が残っています。魚、鳥、矢じり、笑っている人間の顔などの図案です。三星堆当時には文字がありませんので、これらの図案で、文字の代わりに当時の生活ぶりか杖の所有者の権利を語っているのでしょう!

5,青銅大立人:
 青銅器の全体の高さが262CMで、中に青銅大立人の高さが172CM 、台の高さ80CM 、帽子の高さ10CMです。中は空洞で、重さ500キロです。青銅大立人は鼻が高い、眉毛が太い、耳が大きい、左右の耳にはほかの仮面と違ってイヤリング付ける穴がありません。表情が非常に威厳さがあり、衣装も極めて華麗です。全体から見ると、この青銅大立人の地位が非常に高いです、多分当時三星堆の支配者である王様かお呪い師のような人物です。

五:三星堆青銅器の製造技術

 全体から見ると三星堆青銅器製造技術が当時殷商時代の中原青銅製造技術より少し落ちていますが、でも当時の青銅器製造の最新技術ももう十分把握してうまく使っています。分段鋳造技術、溶接技術などの最高青銅鋳造技術も巧みに用いて青銅樹や青銅大立人の製造に使っています。また、三星堆青銅器の成分から見ると、錫と鉛の成分が中原地区の青銅器より多いので、青銅の流動性が高くて、中原青銅器よりもっと多種多彩な異形の青銅器作れたのです。