お客様現在の位置:ホーム>観光地>楽山大仏>概況

世界遺産・楽山大仏


概 況


写真集


道路交通情報


ホテル情報


ツアー

  世界遺産・楽山大仏 

 1996年峨眉山と一緒に世界文化遺産と自然遺産に登録されました楽山大仏は、成都市から約130キロ離れ、バスで約1時間半かかる現在楽山市町郊外にあります。大仏全体の高さが71m,頭部長さが14.7m,頭部の直径が10m,首長さが3m,耳長さが7m,耳の中は二人が並べて立てるぐらい広いです。そのほか、指が8、3m、足の長さが11m、幅が9mで、足の上には100人ぐらい座れるそうです。この巨大な仏像が誕生してから、ずと世界一の位置を占めており、タリバンに壊された55mのバミヤン大仏よりも遥かに高いです。では、なぜこの世界一の大仏をここに彫られたのか?

  楽山大仏彫られた凌雲山はちょうど楽山市町郊外を流れる3本の河:岷江、青衣江と大渡河の合流点に位置し、河の流れが非常に急であり、楽山町を往来する船にとっては大きな危険地です(唐の時代、楽山市は成都辺りの一番大きな港で、成都を中心とする四川省西部の人が四川省の東部に行く或いは四川省を出る時、一番便利なのが楽山から船を利用して行く方法です)。数多い商船と客船が楽山大仏手前の三江合流点を通る時、よく難波が起こり、船の沈没事件が絶えずに発生してたのです。紀元713年、唐則天武後時代の末期、凌雲山で修行している海通和尚は楽山大仏手前の三江合流点には悪龍があるから、船がよく沈没すると考え、その悪龍を追い払い、衆生を災難から救い出すベスト方法がやはり仏像を造り、仏様の力を借りて、悪龍を鎮めると思った。同年、海通和尚の主催で、三江合流点に位置している凌雲山で巨大な仏像造像工事が着工しました。あまりにも大きすぎる工事なので、紀元803年、工事着工90年間後、やっと完成しました。造像中、三江合流点の河床に捨てられた凌雲山から削られた沢山の岩石が、河の流れを緩やかにさせました。それで、楽山大仏できてからは楽山三江合流点での船の沈没事件がなくなりました。この点から言うと、楽山大仏の造像工事は一つの治水工事でもあります。

 楽山大仏彫られた凌雲山の岩石が紅砂頁岩で、石質が柔らかくて脆い、雨や風に浸食されやすいです。しかしなぜこのような岩に彫られた大仏像が1200年間経ってもまだ完全に残っているか?
 当時の大仏造像設計者がうまく保護措置を取っていたからです。
 @大仏できた当時に大仏全体を守る13階建ての楼閣・大像閣が立てられている。これで雨や風の浸食を弱めています。大仏の両側の岩壁に残っている沢山の長方形の孔が当時の大像閣を支える柱の挿した所です。
 A大仏の体には沢山の排水路を設計しています。
   A,頭にも耳にも方にも全部地面に繋がる排水路を造っています。
   B,仏像の衣装の皺や襟などの造形を巧みに設計して、うまく排水しています。
 B工事中の大仏への人力損害をもたらさないように、大仏を彫る岩壁の横に173段の石階段を作り、造像作業中の工作道として使っています。現在その石階段が観光客の遊歩道になっています。

  歴史の記録と考古学者の研究によると、紀元803年にできた楽山大仏像が弥勒菩薩だそうです。なぜ造った仏像はほかの仏(例えば釈迦さん、観音さん)ではなく、弥勒菩薩像ですか?これがその時代の社会事情と関係あります。当時は中国唯一の女皇帝・則天武後時代です。紀元690年、東衛国寺の住職和尚・法明などが「大雲経」を書き、その中に則天武後が弥勒菩薩の化身と見られる説経があります。その経典を読んだ則天武後が大喜んで、全国に仏教のお寺を多く造る命令を出し、また自分にも弥勒菩薩名前含まれた新しい皇帝号を付けました。それで、その時代が中国全土で、弥勒信仰と弥勒菩薩造像が盛んに行われています。その時代背景の中で、楽山大仏が誕生しました。

  楽山大仏の弥勒菩薩が普通のお寺の山門に祭っている弥勒菩薩と全然違います、それがなぜでしょうか?二人の弥勒菩薩は名前が同じですが、実際は違っている二人です。インドから伝わってきた仏教の中で、弥勒菩薩が釈迦さんの後継ぎの未来仏で、弥勒とは「慈」の意味で、つまり人々に喜びを与える菩薩です。普通の中国仏教お寺山門に祭られている弥勒菩薩が中国産の弥勒菩薩で、本来の名前は布袋弥勒菩薩です、日本では布袋さんと呼ばれています。中国歴史上、実在している和尚だそうです。この和尚は晩唐時代の浙江省辺りで修行しているそうです。名前は「契化」です。彼はお腹が大きい、いつも布袋を背負って仏教信者から寄付をもらっています。
当時民間の噂によると彼が弥勒菩薩の化身だそうです。それで、彼が死んでから、浙江省、江蘇省辺りの仏教お寺に彼を原型にして造った弥勒菩薩が現れました。つまり現在中国の仏教お寺山門に祭られている弥勒菩薩像です。この弥勒菩薩像が慈眉善目、福耳が大きい、裕福な笑顔を持ち。。。などなど、何れも中国人の好きなタイプなので、信者に大人気を呼んでいました。なので、やがて中国全土の仏教お寺にはこの布袋和尚の造像が山門に祭られました。  
 

麻浩崖墓

 楽山大仏位置してる凌雲山の裏側には麻浩崖墓という後漢時代(約1800年前)の崖墓群がありま す。崖墓とは後漢時代から南北朝時代まで流行してたお葬式で、山に穴を掘り、墓室を造り、棺桶を入れて、埋蔵するお葬式です。山の同じ所に金ある人は大きい墓室を、金ない人は小さい346789室を掘り出すから、一箇所の崖墓の所に沢山のお墓があるわけです。四川省にはその時代できた崖墓は何万箇所ぐらいもありますが、楽山麻浩崖墓はその中の代表的なものです。

 麻浩崖墓長さ200メートル、幅25メートル、お墓は500箇所もあります。各墓室の入り口や、壁や棺桶には数多い精緻な彫刻があります。また、考古学者の調査により、そこに中国の一番最初できた仏像が残ってるそうです。それがあるので、仏教がシルクロードのルートで中国に伝わったほかにインド〜ミャンマ〜雲南〜四川の伝わるルートも判明しました。

他の見所

 上記の観光地以外、ほかの見所もあります。

 涅槃像: 大仏ある山とその周辺の山の形が仏様上向けの寝相に似ていますので、涅槃像と呼ばれたのです

 海師洞: 楽山大仏位置してる山上にある一つの洞窟で、伝説によると、それは海通お坊さんが座禅修行と休憩の所だそうです。地元の人が尊敬の意味を込めて、海師洞と名付けたのです。

 烏尤山: 烏尤寺というお寺があり、結構優雅で静かな山です。

 東方仏都: 1994年5月オープンした観光地で、総面積20万平方メートル、中に各地の仏像の模倣品3000件余りを奉っています。特に有名なのは長さ170メートルもある涅槃像です。

 霊宝塔: 唐の時代できた仏塔で、高さ38メートル、13階建てです。地元の水夫達のお守りとして立てられたそうですが、今は楽山大仏の一つ観光地になっています。

 凌雲禅寺: 楽山大仏が位置してる山上にある仏教のお寺ですが、楽山大仏があるので、有名になったのです。現在は地元及び四川省の子供ほしい夫婦の願いをする最高のお寺になっています。お寺の奥に楽山大仏の主催者・海通お坊さんと彼の跡継ぎ者・偉皐さんが祭られています。

 郭沫若堂: 楽山生まれの中国現在大学者・郭沫若さんを記念する記念堂で、郭沫若さんの詩集と著作などを展示しております。現在はその記念堂は郭沫若先生を研究する場所になっています。

入場料:

2004年5月より楽山の入場料は120人民元/PAXになりました。
(全ての観光ポイント見れます:楽山大仏・凌雲寺・霊宝塔・郭沫若記念堂・東方仏都・麻浩崖墓・烏尤山など)